学級崩壊した小学校教師が、働き方を変えたら、36年間健康に働いて早期退職できたお話

はじめまして。

まませんと申します。

 

ここはまませんという人物を知ってもらうために

私の小学校教師時代の失敗談と成功談を

 

赤裸々にお話しするページです。

 

教師をしているけれど、毎日帰りが遅くて

何とかしたいと思っている方や、早期退職

 

したいけれど、その後の生活が気になる方に

ぜひ読んでほしい内容になっています。

 

 

現在は、早期退職し自分の経験をXやnoteで

発信していますが、現職で担任の頃は、その日

 

のことで精一杯の生活でした。

3人の子育てと家事、仕事を並行して行う毎日。

 

当時、6年生40人、研究主任をしていた私は、

毎日22時頃まで、学校に残って仕事をして

いました。

 

幸い、義父母が同居していたため、すっかり

子育ては任せていました。それでいいと、

 

思っていたのです。

 

休日は、疲れ果てて子供の相手も満足に

できない状態。当時の私のことを、今の

 

私が見たら「ちゃんと子供の面倒を

見なさいよ」と言っていることでしょう。

 

子供の可愛い時代は、すぐに終わって

しまうのですから。

 

内心は、子供達と過ごす時間が欲しい

と思っていました。

 

私の教師人生で最大の壁が生じたのは、

そんな頃でした。

 

クラスにいじめが起こり、離席や

おしゃべりで、授業が成立しなくなって

 

いきました。

いじめの加害児童、被害児童に話を

 

聞き、保護者に説明をしても理解して

もらえず、私への不信感は高まるばかり。

 

毎日、出勤が憂鬱になっていきました。

そして、我慢ならなくなった保護者達が

 

学校の対応について説明を求めてきました。

 

管理職と相談し、7月末に「保護者会」を

開くことになりました。

 

当日は、40人中99%の出席率で、1時間半

ずっと責められていました。

 

中には、「私にこれからも担任してほしい」

と思っていた保護者もいたようですが、

 

主に発言していたのは、離席する児童、

おしゃべりする児童の保護者でした。

 

「指導が甘い」

「やる気があるのか!」

 

「何を教えているのか?」

 

そう言われれば、返事のしようもなく

「ご意見を生かしてやっていきます」

 

と返答すれば、

「綺麗事を言っている」

 

と返される始末。

 

校長も参加していましたが、

「担任は、がんばっている」

 

と言うばかりで具体性もなく、

最後には

 

「庇うのか!」

と罵られ、逆効果に。

 

終わった後、校長に慰められましたが、

立っている気力もなく、どうやって

 

帰宅したか覚えていません。

 

そんな経験をした私は、学校へ行くことや

教室に入ることが怖くなってしまい、

仕事に行けない時期がありました。

 

「このまま続けても、またあんな

恐ろしい目に遭うのだろうか?」

 

「私は、そんなに至らないことを

していたのだろうか?」

 

ずっと、ずっと考え続けていました。

 

そして、ある時気がつきました。

 

「こんな働き方をしていたら

自分の未来は変えられない。」

 

子供達の顔も見ず、世話もしない

毎日を過ごしていた私は、すっかり

 

人間としての感性を失っていたのかも

しれない。

 

自分の健康にとってもいいわけはない。

睡眠不足の毎日で、良いアイディアが

 

生まれるわけない。イライラもしていた。

 

そんなことに気づかず、私は今まで何を

やっていたのか?

 

そう思った私は、「毎日仕事を円滑に

終わらせ、帰って子供と過ごす時間を

 

確保するにはどうするか」を考え始め

ました。

 

また、この件を通して

「いつ辞職に追い込まれるかわからない。

 

精神疾患で休職や退職に追い込まれる

教師は年間5000人を超えるのだから」

 

「そうなったら、子供達の未来はどうなる?

私の今までの自尊心は?惨めな気持ちで

 

残りの生活を送っていくのか?」

 

「辞職に追い込まれたら、経済的にやって

いけるのか?まだ家のローンも残っている。

 

教育費は出せるのか?」

などさまざまな考えが湧いてきました。

 

そこで、自分の働き方を見直すことを

始めました。

 

教師の毎日の仕事は、

・授業の進め方を考える

 

・授業に使用するプリントを用意する

・テストをすれば、丸つけ

 

・それを5、6時間分

・放課後会議があればその資料の準備

 

・給食指導で、昼休みは宿題を忘れた

子に学習させる

 

・公開授業があれば、指導案を作って

検討会をする、授業が終われば協議会

 

そのための役割分担を研究主任が決める

など、細かく分けるとたくさんあります。

 

思い切った行動に移すことにしました。

もうあんな酷い目には遭いたくないと

 

思っていたからです。

 

・やらなければならないことを

 紙に書き出す。

 

・完璧にやろうとしない

・一人でやろうとしない

 

・帰る時間を決めて、その時間がきたら

 途中でも帰る。(当時退勤は17:00)

 

 残りは翌日に回す。

 

決めたことを実行するだけで、少しずつ

時間の過ごし方が変わっていきました。

 

隙間時間を無駄にせず、15分もあれば

できることは進めました。

 

同時進行で、2〜4の仕事を進めて

いたこともあります。

 

これができたのも、「書き出した紙」

があったからです。

 

自分の進むべき道や目標が、はっきり

していたからです。

 

この紙は、その後「人生でやりたいこと

ノート」に変化していきました。

 

こうして、働き方を見直した私は、

平均退勤時間17:30を3年間続け、遠距離の

 

学校に勤めていた時期を乗り切りました。

 

毎日子供達の顔を見ながら、夕食を

摂ることができたのです。

 

さらに、自分が決めたことを実践し、

成果が出てくると、自信が湧いてきて

 

あの「忌まわしい過去」もすっかり忘れて

仕事に打ち込めるようになりました。

 

この経験から、自分の精神状態の保ち方にも

関心が向きました。これからは、

 

・睡眠時間は7時間以上確保する。

・人に話す、会話する、困ったらSOSを出す。

 

・3食しっかり食べる。元気の源は食事である。

・週に2日は運動する。ウォーキングでもジョギングでもいい。

 

と決め、実践をしました。これは、退職するまで

続けました。

 

運動は、地域の「運動教室」に申し込み、

走ったり、バイクをこいだりしながら

 

週2回汗をかく運動を行い、今は健康診断で

どこも異常なしの健康体です。

 

家計についても、収入と支出のバランスや

教育費の積立、家のローンなど家族が楽しみ

 

ながら、お金をどう使っていくか、考える

ようになりました。

 

欲望のままに使うのではなく、計画的に

お金を使おうと考えるようになりました。

 

おかげで、3人の子供達は奨学金をもらう

ことなく、大学や専門学校に通わせることが

 

できました。

 

空の巣症候群

また、その後は大変な目にあうこともなく

36年教師を続け、2023年3月末に早期退職

 

しました。

 

過去のあの経験が、私に多くのプラスの事象を

もたらしてくれました。

 

人生が、目標を書き出すこと健康に留意する

ことで変わるとは思ってもいませんでした。

 

現在は、自分の経験を活かして先生を対象に

お悩み解決の情報発信をしています。

 

働き方、学級経営、授業のことなど悩んでいる

先生達の助けになる行動をしていきたいと

 

思っています。

 

私が実践した働き方を始めて、教師生活を

より楽しく充実したものにしていきませんか?

 

長くなりましたが、最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

それでは、またお会いしましょう!

 

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実践することができれば

 

誰でも教師生活を楽しく送る

ことができます。

 

私は、特別なことはしていません。

正しい知識とやり方でコツコツと

 

継続してきただけです。

 

自分に合う働き方を見つけて

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これがあなたの人生を変える

第一歩です。

 

・たくさんの仕事はほどほどにして、ゆっくり

仕事を楽しみたい。

 

・人生を充実させながら、教師の仕事を続け

たい。

 

そんな人のために、私が実践してきた行動を

惜しみなくお伝えしていきます。

 

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