11年間義父母と同居した赤裸々なお話

初めまして

まませんです。

 

このブログは、教師を36年間勤め

第二の人生を何とかしたい

 

ブログに自分の思いを書き綴っている

ブロガーによる「36年間の辛いこと、

悩み相談」の人生攻略ブログです。

 

「そんな、つまんないブログ、興味ないよ」

と思うかもしれませんが、

 

私自身、自分の経験を書いて発信している

X(旧Twitter)は、開始から8ヶ月でフォロワー

2000人に到達しそうです。(2023年12月8日現在)

 

文章で、自分の失敗談を参考にしてもらう

ことで、皆さんを励まし、失敗を避ける

ことに繋がると思うので、

 

よかったら見ていってください。

ここでは、私が36年間、仕事を続けられた

ものの、

 

心に大きな影を落とした

義父母との同居生活について

赤裸々に語ります。

 

「こんな話、興味ないよ!」って方以外は、

よかったら見ていってください。

 

それでは、始まり、始まり・・

 

同居した理由

夫婦とも同業で、私の実家の近くに

家を建築して、2歳の息子と夫婦の

3人で住んでいました。

 

その時に、双子が生まれることが

わかりました。私は動揺しました。

 

1人の赤ん坊でも育てるのは大変でした。

それが2人になる・・

 

一挙に赤ちゃんが2人増えるのは、嬉しかった

ですが、嬉しいと戸惑いが同時に襲ってきました。

 

それでも、どんどん大きくなるお腹を

抱えながら、

 

出産を心待ちにしました。

10ヶ月後、可愛い男女の双子が誕生

天使がやってきた」と

 

初対面した時に思いました。

二人とも、とっても可愛かった。

家に戻ってからの育児は・・

もう戦争でした。

 

3歳の長男が一生懸命に

ミルクをあげるのを手伝ったり

 

お皿を運んでくれたり

健気に協力してくれました。

 

きっと自分の地位が、二人に奪われて

寂しかったと思いますが

 

そんなことを感じさせないくらい

2人の赤ちゃんを大事にしてくれました。

 

1年間の育児休暇中に、夫が

 

「私が復帰したら、仕事、家事、育児で

忙しくなる。自分の両親と同居しては

どうか」と提案してきました。

 

正直、自分は子供たち3人と5人家族で

過ごしたかったですが、

 

子供って病気にもなりやすいし、保育園や

学校に上がった時に送迎の問題もありました。

 

内心、気は向きませんでしたが、

自分と子供のためには

と決断しました。

 

思い返すと、夫は自分への負担を

減らし、両親に肩代わりさせるために

呼んだのではないかと、

 

その後の言動を見て感じました。

 

同居中エピソード1

私が職場に復帰する直前に、義父母が

引っ越してきました。

 

家から70km離れた地域から、ほぼずべての

家財道具を持っての引越しです。

 

家の中には荷物が溢れかえりました。

ダンボール箱が家を埋めました。

 

その風景を眺めて、絶望的な気持ちに

なりました。

 

「この家を占領される」

ちなみに家は、夫と私の名義で

ローンを支払っていました。

 

早速舅から

「私たちが来てやって、働けるのだから

ありがたいと思いなさい」

 

と言われ、未来の生活がどんよりして

行くようでした。

 

同居中エピソード2

義父母と同居して、「何を考えて

いるのか?」と思ったのが

 

舅と夫が一緒にパチンコ屋に出かける

ところを見ていて。

 

夫は結婚当初からパチンコ狂いで

土日は午後から一人で、パチンコ屋に

出かけていきます。

 

「やめて」と言ったことは何度も

ありますし、

 

パチンコ屋で打っている

ところまで行って、

 

現場の状況を確認したこともあります。

 

しかし、全く効果なし。今現在も

続けています。

そこに今度は舅も加わり、土日は

二人で出かけるようになりました。

 

家族の時間は、どんどんなくなっていきます。

 

・自分たちのお陰で仕事ができる

・親子でパチンコに出かける

 

この2つで、同居したことをとても

後悔しました。

 

子供を見てもらえたということは

よかったと思います。

 

食事作りもしてもらえました。

しかし、私たちがすべての経費は

負担していました。

 

まさに「来てやった」というお気持ちで

いられたようです。

そういった方々と一緒にいるのは

眠れないほど辛いものでした。

 

同居中エピソード3

舅の言動や子供たちへの言葉掛けが

思いやりのないもので、

 

私は夫にそれを改善してくれるよう

頻繁に頼んでいましたが、

 

「自分はどっちの味方もしない」

 

という言葉を繰り返すばかりで

何もしようとしませんでした。

 

その姿にもがっかりしました。

 

この人に頼っても何も変わらない。

この人のいうことを聞いて

私や子供たちは幸せになれるのだろうか?

 

だんだんと私と舅が直接言い合うように

なり、家庭内の雰囲気は最悪

それでも、夫が仲裁に入ることは

ありませんでした。

自分は傍観者、関係ないというスタンス・・

 

結局、うまくいかない理由は?

家庭内の恥ずかしい

人には言えない話を

書いてきました。

 

結局11年間、子供たちが小学校6年生と

中学3年生になった時に、

 

「別居してください」

 

と私から義父母にお願いして

再度、義父母は70km離れた元の家へ

帰っていきました。

 

その後の今まで響いているのが

夫との関係。

私の夫への不信感は、拭きることが

できず、その後の生活は

 

子供たちが家を出てからも

変わることはないです。

 

「何で、離婚しないんだ?」

と言われることもありますが、

 

ローンを払い終わった家を出て行くのは

私なのか?夫なのか?

そもそも出ていかなくてはいけないのか?

 

この問いに自分で答えを出すことが

できず、今に至っています。

 

結局うまくいかない理由は

1 お互いの思いやりの欠如

2 お互いの感謝の欠如

3 家庭内のお金の負担を明確に

しなかったこと

 

こう書くと、どんな絶望的な生活

しているんだ?と思われるかも

しれませんが、

 

私は私で好きなことをして、過ごしていますので

結構幸せです。

 

嫌な人と関わらなくてもいいですし。

我慢しない生活です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

こんな恥ずかしいブロガーですが

人生大逆転を目標に今日も発信して

います。

 

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