お彼岸の日に 母の教え

 母の生きざま

 私の母は、2022年3月82歳で亡くなりました。今日はお彼岸なので、父とお墓の掃除に行ってきました。まだ半年しかたっていないのに、結構汚れておりまして、ごしごし磨いてきました。綺麗になって、喜んでくれているかしら?

 母の実家は自営業で、母は高校生の頃から家事を任されていたと聞かされてきました。だから、家事の手抜きはなく、いつも働いているイメージです。三食しっかり作っており、よく「朝食を食べたら、もう昼食のことを考えなくてはいけない」とぼやいていた記憶があります。サラリーマンの父のお弁当は、父が退職して再就職し、再退職するまで作っていました。6月には、梅を買ってきて、大きなざるにしその葉と合わせ、広げて干して「お父さんのお弁当に入れるの」とせっせと梅干し作っていたっけ。

 生け花

 さらに、母は高校生の頃から草月流生け花を習い、師範の免許を取り、私が小学生の頃は家に数十名が習いに来ていました。人が大勢来るのがうれしくて、座敷ではしゃいでいる私に「みっともないからやめなさい」「お行事良くしていなさい」とよく言っていました。人から見られる自分を意識させていました。もちろん花の名前には詳しくて、花屋に「今日はあれとこれを入れて持ってきて」と頼んでいました。私は、生け花と花の名前を教えられましたが、覚えているのはカーネーションとチューリップくらいです。情けなや・・母が施設に入るまで、実家にはいつも花が活けてありました。

 洋裁

 また、母は家政科の高校を出ていて、洋裁が得意でした。自分や子供たちの洋服の型紙を作り、素敵な布を調達してきてミシンでちゃちゃっと作っていきます。私は3人姉妹だったから、母も3人お揃いのワンピースやスカートを作って着せていました。自分の服もオリジナルで作ってみたり、既製品に襟やレースをあしらってみたり・・今はミシンのある家も珍しいですよね。私は母の器用さに甘えて、孫の幼稚園のバックや袋を作ってもらっていました。家には母が亡くなるまで、ミシンがありました。

 初孫は私の長男で母が54歳の頃、今の私より若い!今私に孫はいないので。長男が生まれた頃の写真を見返すと、こんなに若いんだと思いました。それは、おしゃれな人で、いつも身ぎれいにしていたからだと思いました。私が3人の子育てで疲れて、おしゃれもせず、身支度に構わないでいると、「女を忘れるな」とよく言われました。自分が女であり、いつも品よく身支度せよという母の戒めであったのでしょう。だから今でも、どんな時でもここの言葉は忘れないようにしています。

 孫たちへも温かく愛情を注いでくれました。孫が小さい頃は特に、「目を離すな、手を離すな、肌をつけて愛し育てよ」を実践していました。泣くと必ず抱き上げて、目をのぞき込み「どうしたの?」と話しかけていました。当たり前といえばそうですが、まだ話せない孫にもいろんな話を聞かせ、尋ね、会話していました。それが、子供の脳の成長には欠かせないことなのだということに、愚かな私は後になって気づくのですが。

 今日のごきげんポイント

 お彼岸の日は、墓掃除をして亡き人を偲ぼう。そして、与えてもらった知恵や思い出に感謝しよう。